中国紀行シリーズも3回目となった。
今回は前回の記事でも書いた大連市での出来事について書きたい。
旅行の醍醐味といえば食。
世界三大料理とも言われる「中華料理」「フランス料理」「トルコ料理」。
その一角を担う中華料理。楽しみでないわけがない。中華料理は油をよく使うイメージがあるが、良質なタンパク質を摂取できればなんでも良い。旅先でそんな贅沢なことは言わない、せめて良質なタンパク質は楽しみにさせてくれ。
今回食事をした場所は前回に引き続き大連市だ。
こんな辺鄙な場所に何があるんだ、といった感じだが実はかなり発展した街でだいぶ楽しめる。
ちなみにこちらが前回の記事で、大連市で感じた経済面での変化について書いている。
では今回の話に戻ろう。
大連市は実は日本との繋がりが少なからずある。
少し歴史の話をしよう。
詳しく勉強された方ならすぐに思い出せると思うのだが、大連市は遼寧省に属しており、いわゆる遼東半島にある。
日清戦争における下関条約で清から日本に割譲されたのがこの遼東半島。
その後ロシア・ドイツ・イギリスによる三国干渉で領土は返還したが、この時のロシアへの復讐を誓った「臥薪嘗胆」という言葉がスローガンとなった。
そしてその後、日露戦争へと発展していく。
日本は日露戦争後も遼東半島における権益を重要視しており、南満州鉄道の本社も大連に置かれるなどかなり深い関わりがある土地だ。
僕が実際に今回訪れた際にも、かつての列車の駅舎を見かけたが全て日本によって建造されたものらしい。今はもう使われていないようだが、歴史的な建造物として残されている。
歴史好きの僕がこの土地に何度も訪れているのはそういう理由もあるのだ。
歴史を、真実を自分の目で確かめたい。僕の場合そういった欲望が旅行には詰まっている。
この遼東半島は一時日本になりかけるなど、かなり深い縁がある。
そういったことも念頭においてこの記事を書いていこうと思う。
大連市には一際目立っている大きなビルがある。
写真からは大きさが分かりにくいが、かなり高い。
実はこのビル、とある日本の不動産ディベロッパーが手がけている。
そう、六本木ヒルズや虎ノ門で有名な森ビルだ。
就活生にも大人気の大手不動産ディベロッパー。そして建設にはこれまた大手ゼネコンの大林組。
もう20年以上の歴史のあるビルで、今となってはビルがかなり増えたが当時は街の象徴のようになっていたらしい。
そしてこのビルには多くの日系企業が入っている。
少し見にくいが、有名な日系企業の名前が見えるはずだ。
ここまでで大連市と日本の関係が深いことはよくわかっていただけただろうか。
そして極めつけは今回お邪魔した日本料理店がある場所だ。
この森ビルの建物から数分歩いた所にある通りだ。
何と通りの名前が「森ビル通り」。
あまりにも日本全開だ。この通りにあるお店は全て日系のお店で看板も全て日本語。
日本に帰ってきたのか?と錯覚するほどの日本感に驚くばかりだ。
居酒屋や日本料理店、ラーメン屋。さらには日本風のクラブまである。
周囲は日本企業ばかり、日本人もたくさん、何とも異質な空間だ。
僕はオーストラリアなどでチャイナタウンを経験した事があるがこんな異質な感じはしなかった。
ここだけ他の空間と切り離されたように感じられた。
しかし中には日本人のみならず中国人のお客さんもたくさんいて、地元に長く根付いているように思われた。
そして、ついにお店に入る時が来た。
バリバリに日本だ、こんな暖簾を下げたお店は日本しかない。
そしていよいよ入店。
「いらっしゃいませ〜」
僕は耳を疑った。
今聞こえたのは間違いなく日本語。思わず二度見した。
そして、テレビを見たら日本の番組がリアルタイムで流れていた。
やはりここはやはり日本なのか?
そう思わざるを得ないほどの日本感。
そして席に通されてメニューを渡されるとそこにも当然のごとく僕の読める文字が並んでいた。
さらに驚くことに、ここの店員さんはみな中国人らしいのだ。
彼ら、彼女らは挨拶は日本語で行うが、それ以外の業務は中国語でなされていた。
さらにさらに嬉しいことに美人揃いだ。ありがとう。謝謝。
店内を見渡すと獺祭や黒霧島などの日本酒が所狭しと並べられていた。どこまでも日本だ。
そんなことを思いながらメニュー表を眺めていると日本の居酒屋で一般的に売られている品が普通に載っていた。
どこかのチャイナタウンで見たパチモンの日本料理とは違ったガチ感が凄かった。あの時は怒りで店主を背負い投げするところだった。
僕はワクワクしながら注文できる限りの品を注文した。
ここからは写真連投だ。インスタグラムに投稿できなかった鬱憤をここで晴らしたいと思う。
まずはこちら。
サーモンの刺身だ。こんなに厚切りのサーモンを僕は未だかつて食べたことがない。
うますぎる。サーモンは最高のタンパク質、きっと全て僕の筋肉へと還元されたはずだ。
次はウニ。
僕はトゲトゲに入ったままのウニなんて見たことがない。
痛風になっても構わない、頰張り尽くした。
次、焼き鳥の盛り合わせ。
うますぎた。僕は焼き鳥が大好物だ。普段鶏むね肉ばかり食べており、頭がおかしくなりそうな時に鳥貴族に駆け込んでひたすらに焼き鳥を食している。
ここの焼き鳥もまさに絶品だった。
ししゃも。
ししゃもを食べるなんて小学校の給食以来だ。
肉厚で魚卵の詰まった熱々のししゃもが食べられる日が来るとは思わなかった。
うまいの一言。
焼タラコ。
こんな立派なブツ、僕は日本でも食べたことがない。
京都で食べた時は比較できないほどの小さなブツだった。
当然ながらうまい以外の言葉が見つかるわけもない。
そして最後に、チキン南蛮。
少しサクサク感は足りないが、味は完璧な一品。
他にも馬刺しや大トロなど贅沢な品をいただき非常に満足だ。
本当にいい意味で裏切られた。中国といえば、パクリ。
しかも劣化版としかいえないような酷いパクリばかり。
そのため正直大して期待していなかったのだが、想像を遥かに越えてきた。
そしてさらに僕を驚かせたのは店員さんの接客だ。
お世辞にも中国人の接客は良いとはいえない。それは中国にいて改めて実感したことだ。
しかしながらここの店の人たちは歌舞伎町の居酒屋の100倍しっかりした接客だった。
そこに僕は一番感動したかもしれない。
終始気分良く飲食することができた。
実はこの土地、以前はもっと広く日本町だったのだが近年の日中関係の悪化や経済発展に伴ってかなり縮小されたらしいのだ。
海外においてこんな高クオリティに日本を感じる空間もなかなかないと思うので、何とこうまいこと継続して欲しいと願うばかりであった。
そしてここで楽しむ人は日本人も中国人も、政治や歴史のことなんて誰も気にしていないようだった。
政治と民間交流は別。そんなことわかってはいても実際には分離することは難しい。
なぜならそこには「感情」がついて回るからだ。
これだけは避けられない。過程はどうであれ日本が戦争を起こしたことは事実であり、変えられない歴史だ。
だからこそしっかりと歴史と現実を受け止めて未来志向の関係を築いていくべきだ。
現地の人は思ったよりも僕たち日本人のことを嫌ってはいないし、どこの飲食店に行っても僕は質問攻めにされた。
その内容もほとんど日本での暮らしについてや、中国との違いについてだ。誰もネガティブなことなんて言わない。
だからこそ僕らもステレオタイプはなるべく捨てて、現実に目の前にあることを受け止めよう。
確かに中国の政策には腹が立つことも多いし、許せないと思うことも多々ある。
しかしそれとは別に民間の交流では互いに享受できることは多いはずだ。
では次回が中国紀行の最終回。
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